『バトル・オブ・リガ』を見ての感想(2009年11月)

バトル・オブ・リガずいぶん前の話になるが、『バトル・オブ・リガ』というラトヴィア製の映画を見た。この映画のストーリーはものすごく端的にいえば、「第一次世界大戦末期のラトビアを舞台にし、ドイツとロシア白軍双方の謀略に負けず、ラトヴィア独立を勝ち取るまでの映画」である。もちろん、映画なのでストーリーは史実といくらか異なっており、誇張や修正もあるが、舞台背景の大筋は間違っていないし、映画のタイトルでもあるようにリガ市で大規模な戦闘があったのは事実である。

この映画、ラトヴィア本国ではちょうど2008年の11月をまたいで上映され、大変な人気となったそうだ。11月にはラトヴィア独立記念日があり、ラトヴィアに大変詳しい私の知人などは、ラトヴィア人のpatriotismsをうまく刺激するタイミングで上映したなぁという感想を述べていた(他にも、もともとメイドインラトヴィア映画があまりなく、その中では大規模なメイドinラトヴィアな映画であったこともヒットの理由として挙げていた)。特に、08年11月であればまだグルジア紛争の記憶も新しく、対ロ脅威視が盛り上がっていた時期であったことも多少は興業に影響しただろう。

ストーリーを語るとネタバレになってしまい、DVDの売り上げが減ってしまうかもしれないので、簡単に感想だけを書いておきたい。とはいえ政治学研究者は性格が悪いので、持ち上げも称賛もせず興味深い点を書き連ねるだけである。

1.
まず端的に、よくできた「民族の物語」だと強く思った。今現在の視点から過去を振り返って、ラトヴィア民族の「覚醒」と自立を描いた「物語」といった感覚をすごく感じた。

今、我々はラトヴィア人という民族やラトヴィア語という言語が一つの確立したものとしてあると認識しているけれども、このような概念は19世紀後半から20世紀前半になってようやく現れてきたもので,それまでのラトヴィアは「ラッツ人」「ラトガレ人」「クールラント人」らの多民族地域のように想定されていたし,また場合によってはたとえば「リヴォニア国」の南部方言や南部住民に過ぎなかった可能性だってあったわけである。「民族とは想像される」、というのは手垢のついた議論であるけども、その想像される過程を垣間見た!という感じであった。

実際、当時のラトヴィアライフル部隊(※映画の前半、主人公はロシア軍隷下ラトヴィア人ライフル部隊として長らく従軍している。これも、映画の中では、ラトヴィア人初の軍事ユニット結成!とやや美化されている)の人々の皆が皆、「ラトヴィア人」としての意識をもって部隊に参加していたのか、今となってはわからない。すくなくとも今の視線からは、彼らは最初の「ラトヴィア人」による軍事ユニットなわけだが、もしかしたら、「僕はロシア帝国のリヴォニア県人です」くらいの気持ちで軍に参加した人だって絶対いるだろうなぁとは思った次第(というか多分それが多数派だったと思う)。

ラトヴィア(とエストニア)は、同じバルトのリトアニア(元・大国)と比較しても、「民族の物語」の源泉を調達しにくいので、現代において、「ロシア人の地方民でもなくドイツ人の地方民でもないラトヴィアア人」というテーゼを前面に出した映画が興行的にすごく成功した、というのはすごく印象的であるし、理解できる現象である。ラトヴィア人ナショナリズムにある種の「癒し」を提供した側面もあっただろう。

2.
また、もうひとつすごく印象に残った点として、非常にうまい具合に、ソ連やラトヴィア赤軍の要素を削っていた所がある。

本映画に出てくる陣営はラトビア独立軍とドイツ軍とロシア白軍の3陣営だけで、「ドイツ&ロシア共闘軍vsラトビア軍との戦闘」というフレームがとられているわけだが、実際の史実ではすでにソ連が成立していてソ連軍が大きな影響を及ぼしていた。知っている方も多いとは思うが、当時のラトヴィア人ライフル部隊といえば、ソ連の軍事組織の中でもある種のエリート集団として見られていた(そもそも当時のソ連軍(より正確には臨時政府下の共和国軍)の総司令官がユクムス・ヴァーツィエティスというラトヴィア人である*1)。ソ連における言説でも、ラトヴィア人部隊はWWI・WWII双方における対独戦の先鋒としてやや英雄視されていた時代もある(ラトヴィアの独立を最初に承認したのもソヴィエト・ロシアである。)。実際には,WWI末期のラトビアでは,独立民族派に付いたラトヴィア人と共産主義の理想に燃えた赤軍派に付いたラトヴィア人で悲壮な内戦と殺し合いを行っていた(さらにドイツ派のラトヴィア住民もいたので3すくみの様相を呈していた)。しかし、映画ではそういったソ連的要素がまったく言及されておらず「大国の連合に立ち向かう小国の悲壮な勇気」というストーリーが構築される。

少なくとも、今現在のラトビア民族主義からしたら、ロシアを警戒視しヘイトしているのは明確なのだけれども、それ以上にソ連こそを憎んでいるわけである。しかし、上記したように史実を正視すれば、当時のラトビア人の一部がボリシェビキ(ソ連赤軍)と共謀関係にあったことは間違いない事実であり、そもそも主人公なんかは前半はずっとソ連軍の一部として従軍していたわけである(つまり独立派・民族派のラトヴィア人たちと殺しあった部隊である)。しかし、ストーリー上、そこがうまく隠されていて(すっぱり捨象されていて)、むしろ当時の赤軍と対立関係にあった白軍(正確には西ロシア義勇軍)のベルモント(Pavel Bermont-Avalov)を「ロシア的なる物」として代表させていたのが印象的であった。(しかも、ロシア=アジア的なモチーフを負わせていたのが印象的であった)

といった点で、実は本映画の物語は、うまく調整すればソ連の英雄の物語として描くことも可能なわけなのだが(ファシズムと白軍を打倒したという点で)、うまい具合にフィクションと捨象を混ぜることで、ラトヴィア人英雄の物語に返還していったところはお見事と感じた。

同時期のエストニアを描いた「バルト大攻防戦」(ひどい邦題・・・)という映画では,エストニア人同志の対立と殺し合いが,ストーリーを支える一要素となっているが,本来エストニアより激しい内戦状態を経験したラトヴィアの過去についてうまいこと捨象した点もお見事である(皮肉です)。

おおまかに上記のような性格の悪い感想を抱いたが、一方で本映画は非常に予算もかけており、いわゆる戦争映画、エンターテイメント映画(あとはラブロマンス映画?)としても十分に楽しめるものとなっている(この点も,映画的にはたいして「大攻防戦」していない上記エストニア映画とは対照的である)。良くも悪くも、善悪二元にばっさり別れたハリウッド映画のようなストーリーになっているので、背景知識がなくても入り込めるだろう。幸いにも、日本でもDVDが販売されており、観賞のチャンスがある。ラトヴィア産映画が貴重である中、興味をお持ちになったらば購入してみてはいかがでしょうか。(勿論私も購入しました)

*1 Lieven, Anatol, 1994, The Baltic Revolution: Estonia, Latvia, Lithuania and the Path to Independence, New Haven and London: Yale UP. p.58.

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